大判例

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最高裁判所第一小法廷 平成4年(あ)307号 決定

本籍

松山市土居田町五〇七番地

住居

東京都渋谷区千駄ケ谷一丁目八番六号

千駄ケ谷シャンス四〇四号

会社員

島川清

昭和五年八月三日生

右の者に対する法人税法違反、所得税法違反被告事件について、平成四年三月二日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人村山利夫、同小川裕之の上告趣意は、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 小野幹雄 裁判官 大堀誠一 裁判官 橋元四郎平 裁判官 三好達)

平成四年(あ)第三〇七号

○ 上告趣意書

被告人 島川清

右の者に対する法人税法、所得税法違反上告事件の上告趣意は次のとおりである。

平成四年五月二二日

弁護人 弁護士 村山利夫

同 弁護士 小川裕之

最高裁判所第一小法廷 御中

第一 総論

本件上告の理由は、第一審の判決を支持した控訴審判決は量刑が重きに失し、これを破棄しなければ著しく正義に反することを認める事由がある。

即ち、第一審判決は、相被告人横山彰および土田正二に対しては執行猶予を付しながら、被告人島川清(以下、単に被告人島川という)に対してのみ、本件犯行は被告人島川がいなければやり得なかったと述べ、被告人島川の他の被告人にはない有利な事情を全て無視し実刑判決を言渡したものであり、控訴審判決もこれに盲従したというべきである。即ち、第一に被告人島川の本件犯行における動機、役割、犯行内容、それによって受けた利益を他の被告人と比較したときに、被告人島川のみが実刑をもって責められるべきではなく、第二に被告人島川に存する有利な事情は他の被告人にはないものであり、以上を総合すれば、原判決が破棄されるべきは当然と言わなければならない。

以下各項目について述べる。

第二 被告人島川の有限会社利昌(以下、単に利昌という)の犯行に加担した動機、態様等について。

被告人の本件犯行加担の形態は、実質的には幇助である。

相被告人はいずれも不動産業者であり、同人らの動機はいわゆるバブル経済の下で高額の利益を収める一方、土地重課制度の下では高額の税金を支払うことになることから、脱税することによって、今後の不動産取引をするにあたっての自由に使える裏金を作りたいというにあった。ところで、被告人島川は不動産取引そのものには全く関与しておらず、利益の多寡には関心を持っていなかった。従って、報酬額の決定については、相被告人らに委ねていた。本件犯行中、とりわけ有限会社利昌の弁天町物件に関して、被告人島川は同社より一億二一八九万円もの報酬を得たが(被告人島川が利昌および東武観光から得た報酬総額の約七〇パーセントに相当する)、被告人島川は同社がそのように高額の利益を得ることならびに被告人に高額の報酬が支払われるであろうことを予期していない。被告人にとって右報酬額を受領したことはいわば偶発的な事であった。被告人において自らが高額の収入を得ることを目的として計画的に犯行を行なったなどということはない。

第三 被告人島川の東武観光開発株式会社(以下、単に東武観光という)の犯行に加担した動機、態様等について。

一 被告人島川が土田と知り合ったのは知人の長尾五郎の紹介によるものであり、被告人島川より積極的に脱税工作を請負おうとしたものではない。

二 しかも、被告人島川の関与した案件は東武観光がほ脱した案件の全部ではない。記録上明らかなとおり被告人島川は東武観光に関しては不動産取引に関与していないことは勿論のこと、売上高、経費額、利益額などについては知らされておらず、税務申告書の作成は東武観光の顧問税理士がしており一切関与していない。

以上のとおりであり、東武観光に関しては利昌と被告人島川の関与の程度、態様に比して低いものといわざるを得ない。

第一審判決は、昭和六一年九月期の中野区中央物件に関し、合計四〇三〇万円の架空支払手数料の計上および同六二年九月期の東十条物件に関する二五〇〇万円相当の売上除外については、土田が単独で行ない、被告人島川は関与していないと認定している。

右不正工作によるほ脱額は、土地重課制度のもとで少なくとも四〇〇〇万円を越えるもので極めて多額であり東武観光のほ脱税額の二〇パーセント以上を占めるものである。第一審判決は、この点につき不正工作に先立ち、不正工作を前提として虚偽過小申告により東武観光の右両年度の法人税を脱税する旨の共謀が被告人土田との間に成立しており、東武観光について右両年度のほ脱罪がそれぞれ単純一罪として成立する以上被告人島川が前記の認識を欠くことは共犯者間における事実の錯誤に過ぎず、認識を欠く部分の存在は情状として考慮すれば足りると判示している。

共謀の成立に関しては、被告人島川の関与の態様に鑑みるならばその成立はないものと思料されるが、それをさておいても、情状のうえで右の点について十分に考慮されているとは考えられない。

三 被告人島川の受けた報酬は土田が適宜定めた脱税金額の一部なのである。

四 一、二審でも被告人島川が右報酬を所得として申告せず、ほ脱率が高いから悪質であり刑事責任が重いとしているが、東武観光は土田のいわゆる個人会社というべきで、従って、同会社がほ脱した金額は即ち土田の所得ということになるが、土田はこれを個人所得として申告していない(全額をほ脱したことになる)。

五 このことは利昌の場合も同じである。利昌は、当初横山と横山の両親および妻が取締役となって始めた会社であり、その後両親が辞任し、ついで妻も離婚に伴ない辞任して横山だけが取締役となった

横山は、離婚に際して六五〇〇万円の慰謝料等を支払っているがこの金員は脱税によって得た金である、また横山は脱税の動機として自分自身の老後のために金を作っておきたいという気持もあったと述べている(平成二年一二月二日付、同人の検面調書)。

従って、土田および横山は脱税により法人税の支払を免れると同時に、それによって得た金員を裏金として私物化しているものであり、所得税違反としても評価断罪されなければならない。

一人被告人島川のみが、法人税、所得税の両方に違反したとして厳罰に処されるのは、右実態に即して見るときに不合理、不平等である。

六 むしろ量刑上問題とすべきは、本件発覚後の被告人島川と土田の対応の比較にある。

七 土田は本件発覚後も税務当局の修正申告の勧告にも応ぜず、更正決定を受けるや異議の申立までしている。

また一審での弁論において、土田を実刑に処するならば、今後の納税は不可能である旨の主張をしている。

被告人島川と比較して、土田の情状が良いとは常識として考えられないところである。

第四 本件犯行後の各被告人との情状の比較。

一 およそ、税法違反の刑事被告事件において被告人の改しゅんの情の真摯であるか否かは、ほ脱した税額に対し重加算税、延滞金を含めどれ程を納税したかである。

二 この点について納税を完了したのは被告人島川のみである。

そして、その納税総額は合計一億七三〇〇万円を越え、右金額は昭和六一年度の本来の所得税額金八五六七万一一〇〇円は勿論、昭和六〇年および昭和六一年度の実際総所得金額一億三九八三万四七〇八円をも越えるものである。

その意味で被告人島川は十分に社会的制裁も受けたというべきである。

三 右納税の点を他の横山、土田らと比較してみると、右両名は完納はおろか、納付すべき税額の二分の一も納付していない。

四 しかも、この点について第一審において土田の弁護人は、「もしも土田を実刑にするならば、今後納税は出来なくなる。そのためには土田に対し執行猶予の判決を言渡すべきである」旨弁論として述べている。

五 右主張は弁論ではなく裁判所に対する洞喝というべきである。ところが第一審裁判所は右主張を認めたのか土田、横山に対しては、右両名については納税を完了することが期待出来るとして(被告人島川の弁護人としては、右事実を認めるに足りる証拠はないと考える)、執行猶予の判決を言渡している。

六 とすれば、税法犯においては現実に納税を完了するよりは未納にしておいた方が情状としてより良いと裁判所は考えているのか理解に苦しむところである。

七 その他被告人島川の身上、真摯な反省態度、保釈後の就職情況などから被告人島川には再犯のおそれの無いことは明らかである。

第五 結論

本件各犯行があった時期は、利昌については昭和六〇年一月から六一年一二月末日までの二会計年度であり、東武観光については昭和六〇年一〇月から昭和六二年九月までの二会計年度でほぼ同時期に行われている。しかも、その大半は昭和六一年中に集中している。右昭和六〇年ないし昭和六二年はいわゆるバブル経済の極限に達するころであり、特に首都圏一帯は、土地ころがしで狂乱していたが、これに対する土地重課制度による課税額がかなり高率であった。第一審判決も右の課税を取り上げ、横山、土田に対しては右課税を免れようとしたことについて情状酌量の余地があるとしている。そうであるならば、横山、土田より脱税の依頼を受けた被告人島川についても情状酌量かあっても当然であろう。

もともと被告人島川は、横山、土田より右依頼を受けて始めて脱税工作に加担したものであって、第一審判決にあるように従前から脱税請負人として行動したことはない。

このことは、被告人島川が家宅捜査を受けた際、一切の証拠を押収され、更に一切の経過を供述して判明した事実が本件各犯行のみであることからも明らかである。

第一審、第二審とも誤まった被告人像のもとに検察官の論告、求刑意見に盲従し被告人島川に対してのみ、不当に重い量刑をしたものと言わざるを得ないものである。

以上のとおりで、第一、第二審を通じ、被告人島川に対する量刑は不当に重く、これを破棄しなければ著しく正義に反することは明らかである。

近時、税法違反の事案には、厳しく刑事責任を追求し、実刑をもって臨む場合が多いようである。

右の傾向の前提として、おそらく税法違反の被告人は「国家および国民の犠牲のうえに自らの利益のみを計ろうとしたもので反社会性が強く、一般予防の見地から厳罰に処すべきである(一審論告要旨から)」という考えがあると思われる。

確かに刑罰に、一般予防的効果のあることは否定出来ないが、これは刑罰の目的ではない。

世上、一罰百戒とも言われるが、これは刑罰の目的を逸脱するものである。

刑罰は見せしめであってはならないのである。第一審、第二審の論拠は被告人島川は罪責の重大さに鑑み実刑は免れないとし、第二審判決も本件は懲役刑の執行を猶予すべき事案とは到底認められないとし、いずれも実刑しかありえなという前提に立った判決である。

およそ、税法犯といえども、他の刑法犯と同じく被告人の改悛の情、被害の弁償(脱税額の納税)、前科前歴の有無、再犯のおそれなど諸般の事情を総合し、量刑をすべきである。

最高裁判所の公正、妥当な温情ある判決を賜わりたい次第である。

以上

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